「それがどうした」-REVENGE99の挑戦

【都市対抗野球東京都二次予選で】
 応援の観客がチラホラしかいない府中市民球場の一塁側スタンドに2つの大きな赤い旗が風になびいていた。旗には大きな字で「それがどうした 俺たちならできる」とあった。

 夏日の昨日、府中市民球場で都市対抗野球の東京都第二次予選1回戦の「REVENGE99対鷺宮製作所」の試合を観戦した。
  REVENGE99 002 000 000=2
  鷺宮製作所  001 100 10×=3

 一塁側REVENGE99の応援席はまばら。攻撃時には録音された応援音がスピーカーから流れる。

 一方の三塁側は、応援席が埋まり、ブラスバンドが沢山入り、男性応援団とチアガールが何人も入る。一見異様な試合風景であった。

【リベンジ「再び挑戦する」男たち】
 REVENGE99は、1998年に全足立リベンジの名前で誕生した東京都の社会人クラブチーム。2001年に「REVENGE99」に名称変更した。

 19~36歳までのおよそ40人ほどのクラブチーム。昼間は支援企業などに勤めながら仕事を終えると足立区にある「浅古自動車整備工場」に練習に集まる。元プロ野球選手も何人もかかえる。

 リベンジを賭けて、部費を出し合いチームを運営する。野球人生で味わった挫折や敗北をリベンジしようと、白球を追い続けている男たち。

 昨秋、創部20年目で「全日本クラブ野球選手権」に全国初出場を果たした。全国261あるクラブチームで戦う試合の全国大会だ。試合は、残念ながら1回戦で4-5で惜敗。

【浅古監督の熱意】
 オーナー兼部長兼監督は浅古純一監督。修徳高校野球部出身。実業団でもプレーし、プロ野球の入部二次テストをパスするも、自動車整備工場を経営していた父が脳梗塞で倒れ、家業を継ぐことに。

 会社を継ぐと、会社には数億円の借金があり、30年ほどかかってやっと3年前に返済が終わる。会社に室内練習場を作り、チーム強化に力を入れる。

 腰の低いオーナー兼監督のようで、試合後も選手達のミスを口にせず健闘を称えるそうだ。やれることをやって失敗したのなら、それでいい。

 部員たちは、支援企業の加圧トレーニング事業の会社に多くが勤務し、チームを支える。

【つわもの達】  
 チームを引っ張るのは、コーチ兼選手の森拓也選手。2000年夏の甲子園で東海大浦安が準優勝した時の4番打者。1年後周囲の誰もがプロに進むと思っていたが、ドラフトでまさかの指名なし。

 東海大野球部に進むが、半年で辞め大学も中退する。「気持ちが弱かった。昔に戻れたら、自分のことを怒ってやりたい。」そして新生のREVENGE99に合流する。

 昨日の試合で完投したのは中川誠也投手。140キロ台の速球とスライダーを武器に、鷺宮打線を翻弄した。同点で迎えた7回裏の決勝点は、2死1塁からフラフラと上がったフライをレフトとショートがお見合いしてしまい、その間にホームインした残念な失点。

 伊勢工で93回甲子園に出場。愛知大学に進むも1年の時に靭帯断裂。3年生で復帰し4年次にリーグ優勝に貢献し明治神宮大会にも出場。2015年のドラフトで中日ドラゴンズから育成1巡目指名。

 しかし故障が原因で1年で戦力外に。 REVENGE99に誘われる。ここで活躍して再びNPBを目指しているという。

 昨日の7番打者は創価大で大学ナンバーワン捕手として名をはせた元千葉ロッテの寺嶋寛大捕手。他に一昨年までオリックスにいて、2013年の侍JAPANにも選出された高木伴投手もいる。

【モットー】
 「チーム名のリベンジというのは僕自身の人生」という監督。チームのモットーをこういう。

 どんなに努力しても報われないことがある。
 心のやり場がなく、他人や環境のせいにしたりもする。
 悔しくて、悔しくて、全身が震えるほど悔しくて涙が出てくる。
 でも、それがどうした?そこからがスタートだ。

 私が高校時代からよく知っている2人の選手がスタメンで出場している。今年のREVENGE99の都市対抗野球への出場の戦いは、まだまだ5/27の県営大宮公園球場へと続く。昨日の敗戦?それがどうした?リベンジ!

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